今寅さんを見ています。
2004年3月25日 TVリリーと寅さん、うまい具合に行くかな。
48作目完結。
恋愛と放浪だけで、ここまで続くとは凄い。
震災のことが、描かれていて、懐かしかった。
48作目完結。
恋愛と放浪だけで、ここまで続くとは凄い。
震災のことが、描かれていて、懐かしかった。
NHK人間講座[再]こんにちは一葉さん
2004年2月2日 TV
おおむね、私の知っていた一葉像でした。
一葉=古い女、雷鳥=新しい女。というイメージ通
だったというか。
NHKだから仕方のないところかという気がします。
ただ、明治の女が、家族の犠牲になりながらも、
自分の意見は、守るところは守っていると思います。
雷鳥は、自分の生活を守りながら自己主張している
のではなく、ある程度上流階級で、自由に旅行も出来る
才能も階級も経済的にも恵まれた立場だから、主張でき
るところもあると思う。
そして、時代は大正時代の成金を生み出すぐらい、経済も
産業も上昇期だからこそ、通用した理論ではないかと思います。
ただ、与謝野晶子氏との母性保護論争は読んでいて楽しいです。
今現在、幼児虐待、養育拒否というご時世において
彼女たちがどのような教育論争をしているだろうと
思うと楽しいです。
子ども虐待というと、岸和田の事件をセンセーショナル
に言いますが、要するに、女性に「母性本能」なんてない
ことがはっきりしたのではないのでしょうか。
あるんだったら、実子も養子も関係なく、養育するはずでしょう。
本能だもの。
そして、識者は、「最近は、教育環境が変わって。」
と平気で言うが、昭和の時代の農村なんて、虐待の
オンパレード。
うちの母なんて、年の離れた兄たちに不登校をなじられ、
外に追い出されて、木にくくられていたし、
両親のうちどちらかが、アル中で、暴力を振るう人もいたし、
私だって、親に、外に多い出されて、食事を抜かれた
ことがあったさ。
しかし。
あそこまで行くと、ひどいわな。
しかも、「しつけだから。」
といわれると、何も言えなくなると言うところが、
親なら何をしてもいいという、親権という名を借りた
虐待が放置されていたんだよね。
アメリカ南部ミシシッピでは、
子ども同士が遊んでいるだけでも、
保健所が子どもを連れて行ってしまうらしい。
それもそれで行き過ぎだが、
親権という名を借りた、
権利の濫用には、行政が関与すべきである。
しつけという名の暴力は、原則として禁止にして貰いたい。
それが出来ない親は、親業の資格を与えないぐらいの処置
が必要ではないか。
親になるべきでない人間が、親になってしまったのなら、
仕方がないから、行政が呼びつけて、
子どものしつけの仕方や、カウンセリングをすべきである。
母親が、しつけの仕方を知らないのに、児童相談所が、
子どもを引き渡すなんて、言語道断。
自分の母親の経験だけで、
「親は反省はしています。返しましょう。」
なんて言うな。
育児下手な親は、ずーっと、直りようがない。
育児に適性のない親は、職業不適格者みたいなもの。
子どもが、自立できるまで、施設で預かってあげた方がいいと思う。
子どもは、親元でいいというのは、恵まれた環境で、
親が、子供の愛情を注げる人だったのかもしれないさ。
だから、公務員になることも出来たのでしょうし。
そうではなくて、経済的に恵まれなくて、しかも、
親からの愛情に恵まれなかった人間は、
行政による教育を受けるべきだと思うな。
もう近代国家なんだから、自然児では育たないと
私は思います。
貧富の差による教育格差。
これからますます激化していくんだろうな。
一葉=古い女、雷鳥=新しい女。というイメージ通
だったというか。
NHKだから仕方のないところかという気がします。
ただ、明治の女が、家族の犠牲になりながらも、
自分の意見は、守るところは守っていると思います。
雷鳥は、自分の生活を守りながら自己主張している
のではなく、ある程度上流階級で、自由に旅行も出来る
才能も階級も経済的にも恵まれた立場だから、主張でき
るところもあると思う。
そして、時代は大正時代の成金を生み出すぐらい、経済も
産業も上昇期だからこそ、通用した理論ではないかと思います。
ただ、与謝野晶子氏との母性保護論争は読んでいて楽しいです。
今現在、幼児虐待、養育拒否というご時世において
彼女たちがどのような教育論争をしているだろうと
思うと楽しいです。
子ども虐待というと、岸和田の事件をセンセーショナル
に言いますが、要するに、女性に「母性本能」なんてない
ことがはっきりしたのではないのでしょうか。
あるんだったら、実子も養子も関係なく、養育するはずでしょう。
本能だもの。
そして、識者は、「最近は、教育環境が変わって。」
と平気で言うが、昭和の時代の農村なんて、虐待の
オンパレード。
うちの母なんて、年の離れた兄たちに不登校をなじられ、
外に追い出されて、木にくくられていたし、
両親のうちどちらかが、アル中で、暴力を振るう人もいたし、
私だって、親に、外に多い出されて、食事を抜かれた
ことがあったさ。
しかし。
あそこまで行くと、ひどいわな。
しかも、「しつけだから。」
といわれると、何も言えなくなると言うところが、
親なら何をしてもいいという、親権という名を借りた
虐待が放置されていたんだよね。
アメリカ南部ミシシッピでは、
子ども同士が遊んでいるだけでも、
保健所が子どもを連れて行ってしまうらしい。
それもそれで行き過ぎだが、
親権という名を借りた、
権利の濫用には、行政が関与すべきである。
しつけという名の暴力は、原則として禁止にして貰いたい。
それが出来ない親は、親業の資格を与えないぐらいの処置
が必要ではないか。
親になるべきでない人間が、親になってしまったのなら、
仕方がないから、行政が呼びつけて、
子どものしつけの仕方や、カウンセリングをすべきである。
母親が、しつけの仕方を知らないのに、児童相談所が、
子どもを引き渡すなんて、言語道断。
自分の母親の経験だけで、
「親は反省はしています。返しましょう。」
なんて言うな。
育児下手な親は、ずーっと、直りようがない。
育児に適性のない親は、職業不適格者みたいなもの。
子どもが、自立できるまで、施設で預かってあげた方がいいと思う。
子どもは、親元でいいというのは、恵まれた環境で、
親が、子供の愛情を注げる人だったのかもしれないさ。
だから、公務員になることも出来たのでしょうし。
そうではなくて、経済的に恵まれなくて、しかも、
親からの愛情に恵まれなかった人間は、
行政による教育を受けるべきだと思うな。
もう近代国家なんだから、自然児では育たないと
私は思います。
貧富の差による教育格差。
これからますます激化していくんだろうな。