明日とあさってと2日間、人権を映画で見るという
たいそうなキャッチフレーズの企画がある。

今日はその前夜祭で、小栗康平監督が
映画撮影の話、業界の話など対談形式で
話が進んでいった。
今回、6作品中「泥の河」「伽椰子のために」「埋もれ木」
が上映される。

「泥の河」の撮影で、あまり意識せず
ありのままの自分で撮影できたそうです。
さすが天才。
監督と原作者の宮本輝と同世代らしいし
監督のお父さんは、日本では仕事がないから
朝鮮総督府の警察官をしており、
家にお手伝いさんを置いていたらしい。
すごく、日本では考えられないぐらい
いい生活をしていたが、戦後日本に引き揚げてから
というもの文具商を営み、酒乱になり、
「昔はよかった」と愚痴をいう生活だったそうです。
その答えをこの映画に込めたことに結果的に
なったそうです。
それと、撮影場所は、名古屋の中川運河だそうです。
大阪が舞台なのに。
大阪であってほしかったな。

「伽椰子のために」は在日文学だったので
非常に撮影が難しかったそうです。
監督は、文学は言葉であるが
映画は在日朝鮮人という存在を撮影するため
とても難しいとおっしゃっていました。
監督は、自分は朝鮮人ではないし
なることができないので
映画撮影の時は解説者にもなることが
できず、第三者として傍観するように撮影
したそうです。

業界については、映画は制作者(メーカー)、
配給会社(流通)、劇場(小売業)という存在があり
以前は5者協定(独占禁止法違反だとは監督の弁)が
あり、自由に撮影も供給も上映もできなかったそうです。
今は、撮影所のなかで感度の低い、大がかりな
機材が必要だったが、今はデジカメで撮影可能で
制作は今や自由に出来るようになったそうです。
ところが、配給会社自体は以前のままで
制作されても観客動員が多い作品重視に
成りがちなんだそうです。
そして、観光もにらんで映画を製作費込みで
制作させる自治体もあるそうです。
なんだか、アーティストには自由がなさそうですね。

今日の話で印象深かったのは、
「映像で客観的に見ているように思えるかもしれないが
 実は言うと、人間には主観があり感情があるので
 物事を他人が同じように見ているわけではない」
ということを彼が言うと説得力がありました。

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