アテネ五輪パラリンピック卓球日本代表。別所キミエさん。
2004年10月7日 スポーツ コメント (3)先ほどの話題と打って変わって晴れ晴れとした話題。
パラリンピックアテネ五輪代表の別所さん。
56才の代表です。
全代表選手のなかでも、2番目に高齢です。
今はとても晴れ晴れとしていらっしゃいますが
過去は茨の道でした。
キミエさんが40才の時、夫がくも膜下出血で
死亡。当時子どもさんは、高校3年と2年でした。
その3年後、キミエさんまでもが、仙骨腫瘍で
倒れます。
ここで、1度目の手術をして成功します。
輸血の量は、60人分だったといいます。
パート先の人が、集めに回ったと
言います。
それでも、いつ再発するかも分からず、
様々な困難な中で死も脳裏にかすめます。
また2度目の手術。今度の輸血は80人分でした。
そんなキミエさんを救ったのが
知人の喫茶店にキミエさんの作品が
置かれるようになってからでした。
そうやって物を作ることが楽しくなって
外にでることを楽しみにしていたある日、
体育館で卓球のポスターが目に入ります。
これが運命の出会いでした。
それから、パート、卓球ととても忙しい
日を送ります。
それから、生活をもっと安定させるために
障害者専門高等学院に入学。
卒業後、職安にかよいづめて
職を見つけます。
そして、車の運転を習得します。
特に、五輪イヤーは仕事、卓球と多忙な毎日を
送ります。
キミエさん曰く
「こんなに大きな夢を実現できたのは
今まで悩んでいたこと、苦しんでいたこと
全部パワーに出来たからだと思います。」
とことです。
本当にこの人に人生の金メダルをあげたいです。
パラリンピックアテネ五輪代表の別所さん。
56才の代表です。
全代表選手のなかでも、2番目に高齢です。
今はとても晴れ晴れとしていらっしゃいますが
過去は茨の道でした。
キミエさんが40才の時、夫がくも膜下出血で
死亡。当時子どもさんは、高校3年と2年でした。
その3年後、キミエさんまでもが、仙骨腫瘍で
倒れます。
ここで、1度目の手術をして成功します。
輸血の量は、60人分だったといいます。
パート先の人が、集めに回ったと
言います。
それでも、いつ再発するかも分からず、
様々な困難な中で死も脳裏にかすめます。
また2度目の手術。今度の輸血は80人分でした。
そんなキミエさんを救ったのが
知人の喫茶店にキミエさんの作品が
置かれるようになってからでした。
そうやって物を作ることが楽しくなって
外にでることを楽しみにしていたある日、
体育館で卓球のポスターが目に入ります。
これが運命の出会いでした。
それから、パート、卓球ととても忙しい
日を送ります。
それから、生活をもっと安定させるために
障害者専門高等学院に入学。
卒業後、職安にかよいづめて
職を見つけます。
そして、車の運転を習得します。
特に、五輪イヤーは仕事、卓球と多忙な毎日を
送ります。
キミエさん曰く
「こんなに大きな夢を実現できたのは
今まで悩んでいたこと、苦しんでいたこと
全部パワーに出来たからだと思います。」
とことです。
本当にこの人に人生の金メダルをあげたいです。
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