知的障害の弟を抱えて。健常者と障害者は共存できるのか。
2004年6月23日 就職・転職私は、1975年2月5日(2歳)の時から、幼少期がない。
弟が出産の時の事故で、知的障害になった。
事故の原因はよく分からないが、
陣痛促進剤も事故の一因になったようだ。
それから、私は、自分自身の身辺整理や、
自分の進路、就職は自分自身で決めてきた。
どんなときも甘えず、自分のことも他人の世話も、
自分でしていました。
12歳でみそ汁を作ったときは、
わかめをきちんと切れていず、
家族に馬鹿にされていました。
このような家族を、周囲は暖かく見守ってくれて
いたと思う。
弟のことを、私たち家族がカバーできないことを
カバーしてくれていたと思う。
でも、弟に対して(私と弟は別の小学校に通っていた)
「障害児学級や。」といじめらていることが分かった。
なぜ、いじめられているか分かったというと、
私たちは、そのようなことばを教えていないからである。
厚生労働省は、障害者と健常者と共存して
働くということは、管理職・使用者の理解
が必要だし、余裕のある働き方も必要だと思う。
弟が出産の時の事故で、知的障害になった。
事故の原因はよく分からないが、
陣痛促進剤も事故の一因になったようだ。
それから、私は、自分自身の身辺整理や、
自分の進路、就職は自分自身で決めてきた。
どんなときも甘えず、自分のことも他人の世話も、
自分でしていました。
12歳でみそ汁を作ったときは、
わかめをきちんと切れていず、
家族に馬鹿にされていました。
このような家族を、周囲は暖かく見守ってくれて
いたと思う。
弟のことを、私たち家族がカバーできないことを
カバーしてくれていたと思う。
でも、弟に対して(私と弟は別の小学校に通っていた)
「障害児学級や。」といじめらていることが分かった。
なぜ、いじめられているか分かったというと、
私たちは、そのようなことばを教えていないからである。
厚生労働省は、障害者と健常者と共存して
働くということは、管理職・使用者の理解
が必要だし、余裕のある働き方も必要だと思う。
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