私は、1975年2月5日(2歳)の時から、幼少期がない。

弟が出産の時の事故で、知的障害になった。
事故の原因はよく分からないが、
陣痛促進剤も事故の一因になったようだ。

それから、私は、自分自身の身辺整理や、
自分の進路、就職は自分自身で決めてきた。

どんなときも甘えず、自分のことも他人の世話も、
自分でしていました。

12歳でみそ汁を作ったときは、
わかめをきちんと切れていず、
家族に馬鹿にされていました。

このような家族を、周囲は暖かく見守ってくれて
いたと思う。
弟のことを、私たち家族がカバーできないことを
カバーしてくれていたと思う。

でも、弟に対して(私と弟は別の小学校に通っていた)
「障害児学級や。」といじめらていることが分かった。
なぜ、いじめられているか分かったというと、
私たちは、そのようなことばを教えていないからである。

厚生労働省は、障害者と健常者と共存して
働くということは、管理職・使用者の理解
が必要だし、余裕のある働き方も必要だと思う。

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