私のコンプレックスは容姿と身長とスタイルの悪さだった。
私は、現代女性としては小柄な方で157センチしかない
のです。しかも、ボン、きゅ、ボーンではなく、洗濯板でした。
さらに、両親から、顔に難癖を付けられた上に、手足が短いために、自分で勝手に(私って、ダックスフンドのように醜くて手足も短いのね。)と信じて成人を迎えてしまった。

しかし、寮の先輩で175センチあるひとがいらして、
その人はあまりそのことを気になさっていらっしゃらないようで
「gatapyさん、私の弟から、セーター貰ったんだよ。180ぐらいあるから、ちょうどいいの。」とさらっと、おっしゃられたので、わたしが、「いいですね。」とこれまたさらっと答えたのを覚えている。
姉御肌で、同室の人とラインダンスを踊っていらっしゃて、
スタイル抜群で、姿勢も良く、ラインもそろっていました。
その先輩の唯一の難点は、ベットの中に足が入らないことでした。女子大の寮は、ベットが、1畳分しかなくて、しかも、
江戸間とは違って、京間なので、大変だったらしいです。
いつも、和室に部屋を取っていらっしゃいました。
長い足を伸ばせて、気持ちよさそうでした。
ちなみに先輩は、私のように人と仲良くできない
半端者にも、やさしくしてくださいました。
退寮されてからも、お声をどなたにもかける
優しい人でしたよ。
その時、人って容姿ではない。中身なのだなと
少しずつ気付きました。

もうひとりは、高校時代同じ部に所属していた後輩で、今は
専門職をしている人がいます。
彼女は、音楽部だったのですが、「自分が背が高いから、コントラバスとかチェロって決められるのはいや。」といって、ビオラに決定をしました。
何か、背が高いことに対するコンプレックスから逃れるような人生選択していて、「背が高いから、スポーツっていうのも嫌」と言っていました。
うーん。それは、背が高いし結婚できにくいから自立のための人生か。
悲しいよね。

今は会ってないので解りませんが、
「gatapyさんは目立つ人ではなかったよ。」と
言っていたそうです。

その通りですね。

まあ、人の才能は多彩な色を発しているので、
たまにその色を見分けられない人もいるのでしょう。
自分で、才能があるとは思わないけれども、
高校では、目立った者勝ちだから。

私の母校では、美人コンテストという
嫌らしいコンテストがなかったから、
よかったものの、少しかわいい子は
生意気でも許される風潮はありましたね。

男はどこに目をつけてるの?と思いながら、
高校生活を送っていました。

但し、「gatapyさんって変な子ね。」と言われていたことからすると、人からずれた感性の持ち主だったのでしょう。

このことは、コンプレックスになることもあるけれど、
特性として生かすことも出来るから、この感性を生活に
生かしたいですね。

ところで、「藤原主義」の中で藤原紀香さんが、
「私は一番後ろだった。前に習えをするとき、一番前の
 腰に手を当てる人がうらやましかった。」とか、
「電車の中で、あこがれている男子生徒から、「あっ。でかい奴。タラバガニみたいだな。」
と言われて傷ついたと言う下りがあって、
(人からうらやましがられるモデル体系の人って、人から嫉妬されたかと思うと、結婚できないねーって憐れみを受けたり、大変だなー。私は、背が高ければ、3高だったのにと、思っていたけれども、背が低いから、親しみをもたれ安いのかー。)
と、妙に、納得した次第でした。

コンプレックスって、鏡のように付いてくるもの。

その時の人生の対応の仕方によって、良きにも悪しきにも
変わるのだなあと思いました。
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